(17)『嫌われ松子の一生』

去年ずっと見たかった映画のひとつ。

お姫様みたいに煌びやかで華やかな人生に憧れた一人の少女。しかし現実は、教師からソープ嬢、遂には殺人までも犯してしまった松子の壮絶な人生を描いた山田宗樹原作の同名小説を中島哲也監督が映像化した作品。中谷美紀瑛太伊勢谷友介ほか豪華出演陣で贈る壮絶シンデレラストーリー。(amazonより)


おもしろかった。ほんとに130分飽きない。
映像も音楽も豪華俳優陣もすべて素敵だった。ひたすら不幸な話なのに何度も観たくなる。



「神は愛である」という聖書の言葉。
「松子は俺にとって神だった」という、元教え子で最後の同棲相手となった男の言葉。
それから、松子がずっとほしがっていた父からの愛とか。


愛を教える親とか先生という存在は子どもにとって絶対的な人生の支配権を持つ「神」であるのだと思う。
現実には自分自身に人生を変える力があるのだけれど、当人はそれを知らない。なぜなら神を「信じて」いるから。自分でも知らないうちに信じているから。そしてそれが「信仰」なのだと思う。理屈や常識が通じない領域にあるもの。
最近読み返している萩尾望都の「残酷な神が支配する」を思い出した。


松子が草原で死んでいく場面で、家族の替わりは誰にもできないんだよ、という言葉を思い出していた。女性としての松子のいなくなった穴は誰かが埋めていく。でも家族としての松子がいなくなった穴は誰にも埋められなかったのだろうし、松子が失った父や妹の穴も誰にも埋められなかったのだと信じたい。だから最後に松子は家族のもとにかえっていくんだろう。